【人気記事の再掲載】厚生産業株式会社アメーバ経営コンサルティング・経営理念浸透コンサルティング

経営のあり方を変える ―社員には「自立」を、企業には発展を。そして、社会への貢献を。

※本記事は2016年12月8日に配信した記事を再掲しております。掲載されている情報は、発表日現在の情報です。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。

粉体の漬物の素を製造販売する厚生産業株式会社。
薬剤師・研究者であった先代が築いた事業の種を次代に引き継ぎ、結実させた里村社長。そこには会社の存在意義を示す「経営理念」の明文化と、それを具現化するアメーバ経営をはじめとする経営の仕組みがありました。

経営理念をどのようにまとめるか。また社内に浸透させるためにどうすべきか。その具体例を同社の取り組みから紹介します。

厚生産業株式会社
代表取締役社長
里村 大像 氏

父が興した会社を引き継ぐことの意味

厚生産業は、私の父である里村良一が興した会社です。父が営んでいた薬局で漬物の素を自ら調合して販売したところ、農家のお客様に大変喜ばれたそうです。その噂が口コミで広まり、やがて農協さんの流通経路に乗せてもらえるようになったことで事業化が実現しました。

「厚生産業」という社名は、最初に取り扱っていただいた農協の厚生連さんに由来します。
薬剤師であった父は原料の知識に長けていて、調合の技術もありました。そして何よりアイデアマンで、お客様の求めを的確につかんで次々に新商品を開発し、その多くがヒット商品となりました。

ヒット作に恵まれて会社は順調だったようです。私が幼かった頃は自宅の一間での商売だったと記憶していますが、やがて離れに事務所が建ち、次は土地を求めて工場を建てるという具合に、目に見えて大きくなっていきました。

そうした会社の成長を目にしながら育ちましたので、私も知らず知らずのうちに後を継ぐことを意識していたと思います。食品問屋で働いていた25歳の時、父から「会社に来てくれ」という話を受け、自然な流れで厚生産業に入社しました。

実際に会社に入って分かったのですが、当時の厚生産業は、よくも悪くも父の会社でした。父は、自分で自分の人生を切り拓き、自分の行動に責任を持つという生き様を徹底していました。そして、お客様に喜ばれる商品を生み出すために創意工夫し、持てる創造性を遺憾なく発揮していました。会社は、そうした父の個性・人生観に支えられて成長していたのです。

しかし一方で、父は「自分がつくった会社である、自分にとっての経営である」という思いが強すぎる一面もありました。時に「会社を伸ばすもつぶすも自分次第。つぶれたとしても自己責任で受け入れる」という割り切った考え方をすることがあり、社員との関係に微妙な影を落としていました。

父が言わんとしていたのは、よい意味で自分の人生に責任を持つということだったのですが、これは社員には十分には伝わっていなかったようです。また、財務的な視点では、成長は果たしているものの収益性は低く、体質は磐石ではありませんでした。

私は、そのような厚生産業に将来の後継者候補として入社したわけです。30歳を過ぎた頃から徐々に経営を引き継いでいくのですが、そのプロセスは、父が自身の経営観、人生観によって築き上げた会社のDNAを守りつつ、いかに私なりのやり方や価値観を取り入れていくかの取り組みであったと言えます。

「経営のあり方を変える!」。危機感に突き動かされて仕組みをつくる

厚生産業に入社してから5年間は営業職を経験しました。その後1年間、東京の中小企業大学校で経営学を学び、30代から役員として経営に関わっていきました。はじめに手をつけたのは、就業規則と賃金体系の整備でした。

当時は、父が一人ひとりの給与を父の判断で決めていました。社員の皆さんの働き振りを自分の目で確かめて、頑張っている人に報いてあげようという意味合いだったのですが、これには賃金体系なしで給与が決まっていると見られる向きもありました。私から見ても、会社として給与を決めるというよりも、父と社員さん個々人が契約しているような印象を受けました。

組織が大きくなれば、当然すべての社員を公平・公正に見ることは難しくなります。社員も不公平感を感じていて、我慢強い人が多かっただけに声にならない不満がたまっていました。私は、この労使の溝を何とかしたいという思いと、父に対する若干の反骨精神を持って、コンサルティング会社の助けを得ながら人事制度を改めていったのです。

私一人で会社の仕組みに手を入れようというわけですから、大掛かりな仕事となりました。幹部の反発も相当なものでした。しかし、最も大変だったのは社長である父の説得でした。父にとっては自分の裁量の幅が狭まるわけですし、何よりよかれと思ってやっていることに口出しするなという気持ちだったのでしょう。しかし、私にもこのままでは労務問題が深刻化するという思いがあり、譲りませんでした。

次に、研究と商品開発を組織的に行える体制を整備しました。当社の研究は、創業以来父が天性の勘とも言える才能でもって、一人で取り仕切ってきました。私がこのやり方を踏襲できるとは思いませんでしたので、研究開発への投資と人材育成によって実現しようとしたのです。

ものをつくっている会社である以上、商品開発は絶対に外せない分野です。厚生産業は、父の研究のおかげで間違いのない、正しい、うそをつかない商品を生み出す文化がありました。これを会社の仕組みとして確立したいと思ったのです。そのために、味と風味と原理が分かる人材を研究者として採用し、研究部門を立ち上げました。

こうした取り組みの一つひとつに対して、当時の幹部からは大変な反発がありました。皆口にこそしませんでしたが、「若造が本に書いてあるようなことをやっている」と受け止められていたと思います。

それでも取り組みを進めたのは、強い危機感ゆえでした。会社は規模こそ大きくなっているものの利益率は低く、借入金に依存する不安定な体質でした。会社を存続させ、社員やお客様、地域に対する責任を果たしていこうという思いで進んでいったのです。

社是の誕生。父の思想を受け継ぎ、自分の思想を加える

このように経営の仕組みを変えていきましたが、もうひとつやらなければならないと思ったことがあります。それは、社員と私がひとつにまとまるための経営理念をまとめることです。

社員を見ていると、真面目な人は多くいましたが、農協という市場に恵まれ、また父がヒット商品を開発してくれることで売上も確保されており、危機感は乏しく同じ方向を目指そうとする一体感はありませんでした。その一方で、待遇面での不満がくすぶっており、砂上の楼閣を築いているようにも見えました。

父は常々自分の価値観に照らして、社員に「自己の責任において物事を判断できる人間になってほしい」と語り、自分の人生をどう生きるか考えるように説いていました。しかし、残念ながら当時はそうした文化は乏しかったと思います。

私は、この父の価値観をしっかりと根づかせていかなければならないと思いましたし、同時に私なりの経営観というものを確立させ、父の価値観とともに社内で共有したいと思ったのです。そこでまず、私は父にお願いして、厚生産業を経営していくための指針として2つの言葉をいただき、これを社是に据えました。

創業者(父)からの社是

  • 私達は会社の仕事を通して人間性の確立を目指します
  • 私達はお客様へのサービスを通して心豊かな人間になります

仕事によって自分がどのような人間になるのか、どのような人生を歩むべきかを示す、父らしい言葉だと思います。これに加えて、私が考える会社と社会との関係を示させていただきました。

後継者(自分)からの社是

  • 私達は自らの成長と自立を通して「企業の発展と社会貢献」を行います

この3つの文言が現在の社是です。さらに、具体的にどのような形で社会に貢献していくのか、また社員一人ひとりがどのように生きがいを見出していくのかを「企業使命」「経営姿勢」「行動指針」の項目を設けてまとめました。

父が言う「自分の人生を考える」という言葉についてですが、私はこれを厚生産業を継ぐ立場として、会社を発展させ、社会貢献を果たし続けていくことだと受け止めました。これは、私自身にとっての経営の目的、仕事の目的であると同時に、社員全員が共有すべきものと位置づけています。

そこには、日本の食文化を美味しく、より楽しいものにしていくという願いが込められていますし、また大自然への感謝の念を示しています。そして私たちの仕事の価値を認めてもらい、納税という形での貢献や、雇用を守ることがうたわれています。

「自分の人生を考える」という父の言葉を社是に掲げ、これを自分たち自身の成長や働きがい、そして社会貢献という形で実現していこうというのが、厚生産業の経営理念の全体像です。

一人ひとりが「自立」していく。そのためのアメーバ経営、経営理念浸透

この経営理念のキーワードに「自立」という言葉があります。「自立」とは、自分の責任において物事を判断するということであり、その結果を人のせいにしないということです。

これを仕事において実践するには、仕事の中に生きがいを見出すことが重要です。簡単に言えば、出社して仕事をするのが楽しいと感じられるということです。
仕事というものには、地味で単調な側面があります。苦労も伴いますから面白おかしいと感じるものではありません。しかし、人は仕事で成果を手にすればうれしいと感じますし、仲間と競争する中で切磋琢磨し合って成長し、また困難を乗り越えて達成感を味わうことができます。そこに楽しさを見出せば、それが生きがいになっていくと考えています。

私がアメーバ経営を導入したのは、まさにこうした「自立」や「生きがい」を仕事を通じて実現してもらいたいからでした。平成17年よりアメーバ経営を導入し、各現場で自分たちの仕事、採算を高める活動を展開してもらっています。

ここで難しかったのは、はじめは仕組みやルールが増えると受け止められたことです。ダブルチェックの話でも「大根1本買うのも購買を通さなければならないのか」という噂が社内に広がり、戦々恐々とされた一幕がありました。今となっては笑い話ですが、本当の目的や本質が理解されずに形だけが入っていくと、誤解を受けてしまいます。この点には現在も注意しており、数字のとりまとめでも形式的に締切を追及するのではなく、多少時間は掛かってもよいので、きっちりやり切ってもらうことを意識しています。

さらにアメーバ経営導入から2年後の平成19年に、経営理念を浸透させるプロジェクトとして「経営理念手帳」をまとめました。これもアメーバ経営導入同様、KCCSのサポートを受けました。従来の経営理念の体系に加え、社員が日々の仕事の中で意識すべき判断、行動の基準をプロジェクトで101の項目としてまとめ、手帳にしたのです。

現在では、この手帳を毎日の朝礼で輪読しています。ただし、「ここに書いてあるようにしなければならない」と強制するのではなく、毎日耳にしていく中で徐々に理解してもらえばよいと考えています。

手帳をまとめる前は、私が経営理念の話をしても「理念と実際の業務とは別物」という受け止め方をされがちでしたが、現在は自然に業務と結びつけて考えてもらえるようになったと思います。また、プロジェクト自体が参加したメンバーの育成に役立ちました。このメンバーが現在当社の中核になってくれています。

経営理念の浸透とアメーバ経営の定着によって人材が育ち、具体的に数値で成果を計ることができるようになりました。

将来に向かって夢を描く

アメーバ経営導入当時18億円だった売上は、6年を経て現在は24億円まで伸びています。自己資本比率も70%に手が届くところまで高まり、かつて借入金負担に悩んだ日々とは隔世の感があります。これは経営理念をまとめ、その中でアメーバ経営の導入などさまざまに手を打ってきた結果だと思っています。

しかし、経営者とは欲深いものです。私は、一段上がればもうひとつ上へ、さらにその上へとどんどん上っていきたいと思っています。もっともっと成長させたいというのが本当の気持ちです。そんな気持ちを持ちながら、一方で急ぎすぎてはならないと自身を戒めてきました。私は、企業の成長は人材の育つスピードでしか実現できないと思っています。無理をすれば必ず反動があります。その反動を抑えながらこれまでやってきました。

しかし、今社内を見渡せば、幸いにもこれからの事業を担える人材が育ってきてくれています。私は、彼らに大いに期待しています。農協さん以外の販路の開拓、新商品の開発など、テーマはいくらでもあります。これを社員に担ってもらって会社を成長させ、さらに一人ひとりが自立した存在として生きがいをもって働いてほしいと思います。会社として、そうしたテーマに挑戦するだけの資金的な余裕もあります。これからの発展が本当の楽しみです。

厚生産業は、もとは父が蒔いた一粒の種からスタートし、自分の人生をどう生きるのかを突き詰める中で、事業として伸びてきました。そして、父の思想に私の思いを加えさせていただき、当社の経営理念が生まれました。

自立の精神のもと、社員全員が仕事に生きがいを見出し、社会貢献する。その追求をこれからも社員全員で続けていきたいと願っています。そして、父が蒔いた事業の種を社員全員の夢として、大きく結実させていきたいと思います。

企業は永続性が大事。そのために社会にとって「価値」ある存在でありたい

私が厚生産業に入社したのは平成6年の時でした。現社長は専務で、先代から経営を引き継ごうと経営改革をどんどん進めておられる時期でした。しかし、当時の幹部にはなかなか受け入れられず、厳しい時だったと思います。

財務的にも借入金が多く大変でした。原因はいろいろありますが、原料を自社で量産できなかったことが大きな要因でした。会長がヒット商品を開発されても混合は原料会社に委託せざるをえず、割高の価格で仕入れていたのです。ここにメスを入れるために、社長は研究者を招聘して、現在の体制をつくられました。

厚生産業株式会社
総務部部長
森 雄司 氏

金銭感覚にも甘い面がありましたが、これはアメーバ経営で大きく変わっていきました。予実差を追及され、みんなが経理に確認に行くのです。昔の当社では想像もつかない状態で、採算管理が身に付いていったと思います。

なお、当社では研究部門もPC部門に位置づけています。研究開発の売上貢献度合いが口銭という形の数字で見えるようになったのは非常に大きく、近年のヒット作「なす漬の素」に次ぐ柱が必要であることが採算表に表われてきています。

企業の研究部門は、大学の研究室のように象牙の塔ではありません。研究に没頭するだけではいけないのです。業績に貢献する開発を行うべきであり、アメーバ経営はその意識づけに大いに役立っています。

社員教育では、経営理念を最も重視しています。過去には経営理念を記したカードをつくって配布していましたが、それだけでは十分ではありませんでした。KCCSの協力で経営理念手帳をつくってから、本当の意味で経営理念の大切さが理解されたと思います。

現在は経営理念手帳の輪読に加え、社員の皆さんに稲盛氏のDVDを視聴いただくなど、繰り返しの教育を心掛けています。

業績面ですが、当面の目標は売上30億円です。50億円という数字も見据えていますが、私たちの業種は急に倍増するものでもありません。しっかりと腰を据えて伸ばしていきます。

そして何より、企業は永続性が大事だと考えています。徳川幕府が15代も続いたのは、当時の世の中にとってそれだけの価値があったからだと思います。会社も同じで、社会に貢献できれば代が替わっても続いていくでしょう。この価値を生み続けていくことが重要です。もちろん財務的な裏づけも必要で、経営がガラス張りであること、安定した自己資本というものが必要です。

今期、自己資本比率が70%に達しようとしていますが、これだけあれば新たな投資に打って出られると思います。有効な投資をして、企業の発展、永続性を実現するよう、サポートしていきたいと思います。

  • アメーバ経営倶楽部機関誌「Amoeba Management Report」Vol.1より転載

2016年12月08日

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